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2009年1月15日 (木)

No.70 去り際の太陽

070
    さびしさに 宿を立ち出でてながむれば

    いづこも同じ 秋の夕暮れ

    良暹法師


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イライラする。もうなんだか、猛烈にイライラする。話が通じないこと、それはどんなことよりも私を苛立たせる。簡単に、相手をバカだと笑えれば楽なのかもしれないが、性分としてできない。だが話が通じていないということは、少なくとも自分のいる世界と相手のいる世界が、別次元に存在しているということなのかもしれない。そう考えればいつもは少しは気が楽になるはずなんだが、今日は駄目らしい。

どうしても気が変わらないので、コンビニ行って来ます、と言い捨てて外に出る。かけ始めた暖房に表面ばかり温められていた肌から、熱が放出されていく。自分がいた建物が背後に遠退いていくと、幾分か気分が和らいできた。何がそんなにも気に食わないのか、その原因を考えるぐらいの余裕も出てきた。落ちかけた日が、どこまでもつづく軒を照らして、夕焼け小焼けのメロディとともに消えようとしていた。

  *  *  *  

いつでも歌舞伎座へ向かう足取りは軽い。今日の演目は非常に楽しみにしていたものだ。贔屓の役者の声を早く聞きたい。舞台に出てきただけで泣きたくなるのはあの人だけなのだ。赤信号の点る横断歩道で立ち止まり、ふと周りに目を遣る。思い思いに着飾っている様子の人たちが、みな自分とおなじような顔つきで、これから自分が目にする舞台を心待ちにしているようだった。それが少し嬉しい。

赤信号が青に変る。みな小走りで向こう側へと渡っていく。そう、もうすぐ開幕時間なのだ。人々の、クローゼットの中に所有している中でもとりわけお気に入りであろうコートの裾が、忙しなく足元で踊っている。角を曲がって、東銀座駅の3番出口が右手に見えて、左手に絵看板、それを過ぎたらすぐ玄関口。落ちかけた日が、たくさんの硝子窓で乱反射しながら、ビルの彼方へ消えようとしていた。

  *  *  *  

ゆっくりとした歩調で、門をくぐる。1000年以上も前に建てられた堂宇の屋根が石畳の向こうに見えてくる。右手にある手水舎で手と口を清め、階段を上ると、金剛力士が仁王立ちでこちらを睨んでいる。左へ進んで拝観料を納め、切符を切ってもらったら、もうそこは聖域である。子どもの頃、行きたくて行きたくて、そして今ではもう何度も通った伽藍に、恭しく足を踏み入れる。

龍の巻きつく柱が後から取ってつけたような五重塔の第1層は、お釈迦さんの一生を再現した立体の絵巻になっている。その隣の金堂では、三尊像が静かにアルカイックスマイルを浮かべている。天井の高い講堂、中央にふくらみを持たせた柱の並ぶ回廊。今日は西院伽藍に辿り着けそうもない。拝観料が半額だったのは、間もなく閉門だからである。落ちかけた日が、春日の山々の向こうへと、消えようとしていた。

  *  *  *  

意識を取り戻しはしたものの、まだ頭に靄がかかっているようだ。枕もとの携帯電話を開いて、液晶画面を一瞥する。AM11:34。職業柄、昼夜が逆転している自分にとっては、まだ朝のうちだ。今日は休日だが、とくに予定はない。まだ寝足りない、布団の外は肌寒いだろう。毛布の感触が素足に気持ちがいい。携帯電話を見るとはなしに弄っているうちに、瞼が重くなってくる。

いつの間にか二度寝してしまっていたらしい。携帯電話のランプが明滅している。メールを受信していたらしいが、その音ぐらいでは目を覚まさなかったようだ。やれやれ、また寝休日か。怠惰な自分に溜息が出るが、たまにはいいだろうとも思う。スリッパを突っかけてベッドに腰掛け、上体を捻って腰を鳴らす。落ちかけた日が、カーテンの小さな隙間から細長い光を投げかけて、それももう消えようとしていた。

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    【適当な歌意】

    一人旅で話し相手もいないもんだから
    手持ち無沙汰でぶらりと外へ出てみた夕暮れ時
    どこにいたっておなじように太陽は沈んでく

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